きょうの功徳

日々何となく集まってくる功徳のある情報や思い付きを書き散らす、大いにkudokufulな日記。

地球は青く、地獄は熱かった

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エベレストのてっぺんから撮った写真を見ても、まだ地球が平面であるというだろうか、という記事である。内容は英語であるから、あまり読まなくてもよい。しかし、その写真を見て頂きたい。確かに、地球は丸く見える。

 

この丸く見える地球をもってしても、まだ地球は平らだという、キリスト教的世界観を信じる人などいない……と思うかもしれないが、事はそう簡単ではない。なぜなら、このように見えるのはまさしく神が我々の信仰を試しているのである、だとか、あるいは「神の道はあまりにも高く、人間には推し量ることもできない」とでも言っておけば、いくらでも説明がつくからである。

 

ところでエベレストよりも更に高いところから地球を見た人間がいる。いや、今やそれは結構な人数になるであろう。飛行機ができたときもそうであったろうし、ソ連ガガーリンがヴォストーク1号で宇宙に行ったときも、やはりエベレストよりも遥かに高いところから地球を眺めた。曰く「地球は青かった」とのことであるが、同時に丸かったことだろうと思う。そして、その飛行の後、ガガーリン本人も気に入った、次のようなジョークが生まれたという。

 

モスクワ総主教「息子よ、神は見えたか」

ガガーリン「いえ、見えませんでした」

モスクワ総主教「息子よ、このことはどうか黙っておくように」

 

フルシチョフ「同志よ、神は見えたか」

ガガーリン「はい、見えました」

フルシチョフ「同志よ、このことはどうか黙っておくように」

 

さても神の道は高く、人の推し量れるところではない。宇宙飛行をさせどう見ても球体(に近い)地球を見せて、それでも地球は平らであると言わせたいのであろうか。はたまた「ごめんちょっと嘘ついたけど、まだ信じるよな」と試しているのであろうか。あまりに試されると、神のメンタルも少々心配になってくる。宥めてきたと思ったら急に怒り、徹底して叩き潰しに来るところなど、まったくもって境界性のアレという感じである。しかし、神は神であって人ではない。ゆえに、言うならば人格障害ではなく、神格の障害であろうか。功徳のない話である。せめて功徳を求めて仏陀のことでも考えようと思ったが、彼も彼で、自分探しというか、真実を探しに妻子を捨てて家出してしまった。

 

やはり、神の道は高く、人の推し量れるところではないのである。我々凡夫は、何も信じず、死後地獄の業火で焼かれるくらいが相応と言えよう。

力強い決意

お題「最近気になったニュース」

 

このブログは功徳infoを掲載するつもりで始めたのであるが、どうにもこうにもここ2日ほど、さほど功徳のある情報がない。しいて言うならば朝鮮民主主義人民共和国が米韓演習をやるなら朝米会談はしないと力強い調子を取り戻していることが私にとってはオモシロ情報であり功徳情報なのであるが、そのようなニュースは普通のものとして入っている。普通に入っているニュースを論評するのももちろん良いのであるが、始めたばかりのブログではどうにもためらわれる。そういうわけで、今日も結局thinkingのコーナーになってしまった。おまけに今日は疲れているので、thinkingの方も曖昧模糊としている。

 

こういう時にやってはいけないのが「ネタがない」というネタであることは古事記にも、いや、古のテキストサイトにも書いてある。そのため私は何とかネタがないというネタでした~というWi-Fiで首を吊った方がマシなことを言わないよう努力している。今日日回線で首を吊って死ぬ奴などいない。そんなのは老害のやることであるし、そういう老害はそもそも回線で首を吊って死んでいるはずである。

 

ところで先にも述べた通り、私は本日非常に疲れている。日中はカフェインをキメていたから良いものの、夜も遅くなるともうダメである。夜も頑張ると、明日の朝辛くなるので一層ダメである。要するに完全にダメなのである。だから私はつらさが募って、もしかすると死にたくなるかもしれない。かもしれないというのは、今のところお風呂に入って寝たいとしか思っていないからなのであるが、とにかくその可能性も否めない。何なら、数秒後に死んでいるかもしれない。

 

このように結局大したネタなど思い浮かばずに今日の功徳thinkingが終わりそうである。古今東西禁じ手とされてきた話を3日目でやった罪は重い。私はWi-Fiで首を吊ってこようと思う。もちろん、明日も生きるという決意である。

別に坊主ではない

 三日坊主という言葉があるが、私は危うく2日目にして飽きるところであった。功徳情報を書き散らすためのblogを作成したものの、功徳infoがない日というのもある。確かに私は日々功徳を積んでいるのであるが、皆さんにお伝えできるほどの情報化と言われると、そうでもないことも多々ある。そういう日は私の功徳thinkingを垂れ流すことにしたい。これで諸君の中にも功徳がコンコンと湧き出てくる。唯一の問題は、この功徳thinking論法によると、大体私が情報を集めて記事にすることを怠り、毎回功徳thinkingで誤魔化すのではないかという点であるが、今日のところは体調が不良でどうにも頭も回らないので、一つ勘弁してほしい。この勘弁により、諸君はまた一つ功徳を積んだのである。私に対して無限に感謝していただいても、まったく構わない。

HelloWorld

 だいたいのプログラミング言語では、一番最初にHelloWorldと表示されるものを作成するという。このブログは私が見つけた功徳に満ち溢れた情報をただただ拾っていくだけのものであって、何らのプログラムでもない。そもそもプログラムというのは予定表であるとか、実行計画であるとか段取りであるとか、そういう意味である。しかるにこのブログにはそういう秩序だったものはない。ただ功徳情報を集めるだけなのである。

 

 だからせめて最初の一回くらいは、もののはじめらしくHelloWorldと書き込むことによって、多少の秩序をもたらしておかねばならない。そういう意気込みでHelloWorldと題したのである。そういった私のお気持ちを汲んで、ここはグッと堪えて欲しい。